4号爆誕!コロナ禍だけど切迫早産を機に7歳双子と5歳を改めて2か月ワンオペしてみた
こんにちは、双子のパパYuichiです。
先ほど、3児のパパから4児のパパにランクアップしました👶
予定日から2ヶ月以上早く、今回もNICUにお世話になりますが、とりあえずほっとしています。
念願の4人目!
嫁さん頑張ったー!— 双子のパパYuichi@4児のパパブロガー (@fp_yuichi_fp) November 25, 2021
2021年11月に3児のパパから4児のパパになりました。はい、男の子です。
これで、1号(男)2号(男)が二卵性、3号(女)、4号(男)で6人家族になりました。幸せです。
ただ、今回もやっぱり出産前は大変でした。
ママが切迫早産で入院になりましたので、子どもたち3人をワンオペ状態。
3号出産のときも1号2号を1か月間ワンオペしましたが、そのときと全く違った感じでばたばたでしたので、そのときの様子と2か月のワンオペを通してわかったことをまとめますので、これからママの出産でワンオペになるってパパは参考にしてみてくださいね。
※そのほかのワンオペ記事はこちらから一覧を見ることができますので、ぜひご覧ください。
この記事の目次
7歳双子と5歳長女の2か月のワンオペはあっという間に終わった
ワンオペが始まってもうすぐ2ヶ月が過ぎる。コロナ後遺症の中でできることをやってきた。休職中だから専業主夫でもある。でも、幼稚園の送迎、1年生2人の宿題、明日の準備、毎日の家事、どれも中途半端。年明けくらいまで続くワンオペ。クリスマスと正月を楽しめるだろうか…
— 双子のパパYuichi@4児のパパブロガー (@fp_yuichi_fp) November 20, 2021
一部の人にはFBやTwitterでお伝えしていましたが、僕は昨年8月に新型コロナに感染して重症化、入院治療を受けていました。
発熱(40度近く)で自宅隔離、ホテル療養の後に急激に悪化し重度の肺炎症状で救急車で運ばれました。
なかなか搬送先が見つからず、4時間以上も救急車の中で待機し、やっと運び込まれた病院でアビガン投与、人工呼吸器によりなんとか1か月後に生還しました。
当初、医師からは死の宣告もされて、「もうだめか・・・」と本気で思いましたが、なんとか9月に退院できて、今も後遺症と闘いながら自宅療養中です。
この話はまたどこかで話したいと思いますが、そんな中で9月末にママが切迫早産で入院となってしまったんです。
2か月間のワンオペの一日の流れ
嫁さん退院!2ヶ月ちょっと続いたワンオペも終了!長いようで短かった。最後の方はようやく楽しくなってきた。なんか寂しい気もする。今日から独り占めできないからかな😅
— 双子のパパYuichi@4児のパパブロガー (@fp_yuichi_fp) December 2, 2021
僕はこの2か月間、休職中でした。
なので、普通に仕事をしていたらもっと違う感じになっていたかもしれません。
いわゆる「専業主夫」のような感じでした。
以下は平日のスケジュールです。
5:50 起床、朝ごはんの準備
6:00 子どもたちを起こして朝ごはんを食べさせる
子どもたちを見ながら水筒の準備、金曜日は3号のお弁当作り
学校の持ち物の確認、幼稚園の持ち物の確認
6:40 子どもたちを着替えさせる
歯磨き、トイレ
7:00 1号2号、小学校へ出発(玄関でお見送り)
朝ご飯の片づけ、洗い物、洗濯、簡単な掃除
8:30 3号を幼稚園へ送迎
10:00 買い出し
13:45 3号の幼稚園迎え、おやつの準備
明日の準備
15:30 1号2号帰宅、おやつの準備
16:00 1号2号の宿題チェック
明日の準備、連絡帳などのチェック
洗濯物の取り入れ、たたむ
夜ご飯の準備スタート
風呂の掃除
17:30 夜ご飯スタート
19:00 お風呂、歯磨き
20:00 子どもたち就寝
ちなみにですが、僕はコロナ後遺症と闘っている最中でもあったので、一つ家事をするごとに休みながらこれらをこなしていました。
夜ご飯も、普段ならもう少し遅い時間(18時とか)にしていたんですが、僕の体力の問題もあって20時頃に子どもたちを寝かさないと動けなくなってしまうって問題もあって、なるべく前倒しにしないといけなかったっていう現実もありました。
なので、家事育児が大変というよりも、の僕の体力がどこまで持つかってところがポイントでした。だから、20時に子どもたちを寝かせても、その後はソファーで力尽きていました。
週に1回ほど僕の両親が手伝いに来てくれていましたが、やっぱり子どもたちのリズムや特徴などをきちんと把握するには時間がかかるので、基本的には8割僕がやって残りをサポートしてもらった形です。
心ではできるだけ手伝ってもらいたいと思っても、実際に現場が一番わかっているのは自分なので、そのあたりの葛藤はずっとありましたね。余計に疲れるというか。
それでも、子どもたちと遊んでくれたりするのでやっぱり有難かったですけどね。
前回との一番の違いは「生死」の問題から「教育」にシフトしたこと
初めて子育てを始めたのが7年前。初めてが双子で記憶にないくらいてんてこ舞いで寝不足で、この子達が大きくなったら楽になると信じて頑張った。あれから7年、「大変」の種類が命の危険から教育に変わる。しかし大変なことに変わりはない。良かったことは自分にも家族ができたこと、家事育児スキルが→
— 双子のパパYuichi@4児のパパブロガー (@fp_yuichi_fp) November 22, 2021
3号出産のときは、2歳の1号2号を「いかに死なせないか」が一番のポイントでした。
目を離すとなんでも口にする、お風呂で溺れる、食べ物をのどに詰まらせる・・・
なんでも「死」に直結する可能性がありました。
会話もできないので、意思疎通が簡単にできない。だから表情や動作で子どもたちの状態を理解することに集中しました。
ご飯、オムツ替え、お風呂、寝かしつけ(してないけど)、保育園の準備と送迎、家の掃除、洗濯、その他もろもろ・・・
2人から3人に増えた今回のワンオペで一番良かったのは、子どもたちと会話ができたことでした。
そして、2か月間で自分が目指すものは「死なせない」から「教育」にシフトさせることでした。
教育といっても勉強ばかりに焦点を当てることではなく、子どもたちと一緒に国語や算数のプリントをやったり、音読を聞いたり、チャレンジ(進研ゼミ)をやったり。
一番重視したのが、帰宅後のリズム作りでした。
帰ったらまず手洗い、おやつを食べる、体操服・プリント・連絡ノートを出し、明日の準備をする。その後に宿題をして終わったら自由時間。
最初はなかなかできませんでしたが、ワンオペが終わる頃には自分たちで流れを覚えて宿題まで終わるようになりました。
2か月のワンオペで子どもたちも僕も成長することができた
この2か月で、子どもたちが成長したのはもちろんのこと、僕も成長することができました。
一番は子どもたちに「任せる」勇気が持てたことです。
覚悟を決めて子どもたちに「任せる」選択をした
僕らは子育てをはじめてまだ7年目ですが、まだまだ慣れない部分も多く、子どもたちに対しても”過保護”になりがちです。
小さく生まれたこともあって、「自分たちで守らなきゃ」って思いでずっとやってたのもあって、意識しないとなかなか・・・でした。
でも、僕は自分の入院がきっかけで、少し家族を外から見ることができました。
思っても何もできない自分がいて、その間も奮闘してくれているママがいて、だからこそ子どもたちの成長を客観的に見ることができました。
だから、自分が退院してママが入院するとなったとき、「子どもたちの可能性を見てみたい」っていう気持ちが「誰かに助けを求めたい!」っていう気持ちを上回ったんです。
周りの人は心配だったかもしれません。でも、自分たちの子どもたちを信じてみたかったんです。
だから、大変なのを承知で、なるべく両親とかの力を借りずに頑張ってみたかったんです。
覚悟を決めたんです。
そして、2か月が終わったとき、いろんな成果を得ることができたんです。
学校でどんなことをしているのか理解することができた
子どもたちが帰ってきて、体操服などを替えて明日の準備をし、宿題を見て、先生との連絡ノートのやりとりをしていると、子どもたちが学校でどんなことをしているのかある程度理解できるようになりました。
どんな漢字を習っていて、どんな計算問題をしていて、どんな歌を歌っているのか。
学校で転んでひざを擦りむいてきて血が付いたズボンを洗っていて、休み時間にどんな遊びをしているのか。
ときには担任の先生から電話があり、ケンカをしてお友達にケガをさせて謝ったり。
3号の幼稚園では、今どんな歌を歌って発表会の練習をしているのか。
週一回の3号のお弁当で何が食べたいか、残さず食べてくれた時の喜びも知ることができました。
毎日バタバタの中で、できないことのほうが多かったけど、それでもいろんなことを理解することができました。
パパは「ママの代わり」じゃなくていい
最初は「ママがいない分まで頑張らなきゃ」と、ママの代わりを頑張って努めようとしていましたが、時間が経つにつれてその考えは変わっていきました。
僕はママじゃない、ママの代わりじゃなくてもいい。
パパとしてできることを、自分なりに一生懸命やればいい。
だから、子どもたちの前で格好つけず、ありのままを出すことで心が楽になったのを覚えています。
疲れたらお風呂は免除、ご飯はレトルトや作り置きを多用、洗濯は浴室乾燥、食器洗いは食洗器。
いかに心と体を疲弊させずに毎日を過ごすか考えていました。
僕の心と体が健康であれば、子どもたちに笑顔で接することができる時間が増えるからです(まあ、コロナ後遺症で健康ではないんですが)。
僕は僕なりに、できる範囲で頑張って、諦めるところはスッパリ諦めて、それでなんとか2か月乗り切ったんです。
最後に
今日も最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!
今回の記事では僕のワンオペとの関わりについて書きましたが、本当は僕が入院しているときに身重な体で頑張ってくれたママにも感謝なんです。
というか感謝しかないです。
僕が療養中のホテルから救急搬送されるとママにLINEしたのが深夜2時頃、朝方に病院へ運ばれてレントゲンやCTを取って、その状態をLINEで報告して意識を失ってから5日間、気が気じゃなかったと思います。
家族誰もが「もうダメかもしれない」と覚悟を決め、それでも子どもたち3人を、しかも4人目がお腹にいる状態で踏ん張ってくれました。
15kg痩せた僕は子どもたちを抱っこするだけの筋力も残っておらず、退院後も息切れや関節痛、倦怠感で家にいても使い物にならない状態が続いていました。
だからこそ、本当に感謝しかないんです。
今でも、子どもたちを寝かせた後に「ホント、生きててよかったね」と2人で話すときがありますが、本当に帰ってこれて良かったです。
また家族の顔を見ることができて、家に帰ることができて、家事育児をすることができることができて、普通の生活に戻ることができて(まだ戻れていませんが)、本当に良かったです。
そして子どもたちと一緒に成長することができた。これも大きかったです。
まだまだ双子育児は続きますし、4人育児は始まったばかり。
頑張っていくぞ!
おしまい
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