子どもが巻き込まれる事故や犯罪で親ができることはもうないのか?
こんにちは、双子のパパYuichiです。
最近、子どもたちが巻き込まれる事故や事件が連日のように報道され、そのたびに涙が止まらなくなります。
子を持つ親になったからか、すべての事故や事件の被害者になってしまった子どもたちが、自分の子どもの姿とかぶって胸が締めつけられます。
「なぜ子どもが被害者になるのか?」
「なぜ子どもが狙われるのか?」
「なぜこんな理不尽なことが起こるのか?」
ゴールの見えない自問自答は、終わりが見えないこともわかっているはずなのに「なぜ?どうして?」ばかりが頭の中を何度も何度もかき混ぜます。
今日は、双子育児に関することというより、僕の気持ちをただただ書いていきたいと思います。
考えなくてはいけない「無敵の人」問題
「無敵の人」というのは、インターネット掲示板大手の2ch(2チャンネル)を作った「ひろゆき」氏が2018年7月9日に書いた記事で中で出てきます。
失うモノのない犯罪者「無敵の人」が増えると10年以上前に書いたのですが、現実が追い付いてしまいました。
無敵の人対策も書いてたので、被害者が増える前に真面目に検討して貰いたいものです。。
>ひろゆき提言「キモくて金ないおっさんにウサギを配ろう」https://t.co/WTnnirgPQ8
— ひろゆき, Hiroyuki Nishimura (@hiroyuki_ni) 2019年5月28日
記事の中で、ひろゆき氏は「無敵の人」についてこう述べています。
日本は、毎年2万人以上が自殺をする社会です。社会や未来に希望が持てなくなり、自殺を選ぶわけです。
一方で、たまに、自分を殺して社会から卒業するのではなく、他人を殺すことで社会から卒業しようとする人たちがいます。秋葉原通り魔事件、東海道新幹線殺傷事件、そして今回の事件ですが、犯罪とは程遠い生活をしてきた人が、一転して重大事件の加害者になりました。
逮捕されて、刑務所に入ることが嫌なことであると考える人は、社会に属すことに居心地の良さを感じる人たちだけです。社会に属することを居心地が悪いと感じる人たちにとっては、刑務所や死刑ですら苦痛からの解放のように考えてしまう場合もあるわけです。
個人的にはそういう人を「無敵の人」って呼んでいたりするのですが、無敵の人に対して、既存の刑事罰の強化をしても、犯罪を抑制する効果はあまりないのですね。
要は、
社会や未来に希望が持てなくなったので、この社会をなくしてしまえば悩む必要もなくなる。
悪いのは自分じゃなかったと証明できる。
そう思って極端な行動に出てしまう人のことを「無敵の人」と呼ぶんだそうです。
基本的に僕は、子どもや女性を狙った犯罪は厳罰にすべきと考えるタイプなので、このような「無敵の人」に対しても極めて厳しい対処をしてほしいと考えていました。
しかし、「社会に属することを居心地が悪いと感じる人たちにとっては、刑務所や死刑ですら苦痛からの解放のように考えてしまう」となると、いくら厳しい刑事罰を目の前にチラつかせても「無敵の人」には全然意味のないものになってしまいます。
それどころか、社会全体が”危ないものは排除する”という考えを持って「無敵の人」に対して敵対心を持ってしまうと、さらに多くの「無敵の人」を生み出してしまうのではないかという問題が出てきてしまうかもしれません。
ひろゆき氏の他にも興味深い記事を書いている方がいました。
秋葉原無差別殺傷事件など過去の事件でも、被告が述べるのは「社会に対する怨恨」「幸せそうな人々への怨恨」である。
要するに、何らか社会に対する恨みを募らせている場合が多く、「社会は辛い自分に何もしてくれない」という一方的な感情を有している場合がある。
類似の事件をこれ以上発生させないためにも、困っていたり、辛いことがあれば、社会は手を差し伸べるし、何かしらできることはあるというメッセージの必要性を痛感している。
これは、NPOほっとプラス代表理事 聖学院大学人間福祉学部客員准教授 藤田孝典氏が書いたコラムで、負の連鎖は断ち切らなければいけないということを言っているのだと僕は勝手にそう解釈しました。
確かに僕も「死ぬなら自分一人で死んでほしい」と思っていました。
しかし、それだけではどうにもならない現実があるのも事実で、ここから目を背けてはいけないのではないかとも思ったんです。
もちろん僕も毎日、仕事や育児で本当に余裕がないので、そんな人のことまで(ましてや知らない人なんかに)かまってられないというのが本音です。
でも、そこで思考停止してしまってはお終いだし、もし自分が何かの拍子にどん底まで落ちてしまって、社会や未来に対して希望が持てなくなってしまったとき、同じように「死ぬなら自分一人で」なんて言われたら、そこで何かのスイッチが切れてしまう可能性も否定できないんじゃないかって思ったんです。
それでも現実問題、どうしても避けられない悲劇が起きてしまうんです。
そんなとき、僕ら親は何ができるんでしょうか?
僕らにできることはもうないのでしょうか?
僕にできることは、毎日を一生懸命生きるしかないということ
防犯ブザーを持たせる?
もし防犯ブザーを鳴らす暇がなかったら?
危険者がいたらメールで知らせる?
もしメールが届かなかったら?
そばで見守る?
24時間一緒にいることなんかできるの?
防犯対策や安全対策をする?
もうすでにやっていたら?
危ない人には近づかないと教える?
もし優しそうな人が急に豹変したら?
危ない人が後ろから近づいて来て、それに気がつかなかったら?
どんな防犯対策や安全対策を考えても、現実問題避けられないことが起こる可能性は否定できません。
どんなに心配しても、自分の目が届かないところで起こってしまったらどうしようもありません。
もちろん、親として子どもたちを守るためにできる限りのことはしますし、毎日そうしようと心に誓っています。
目の前に危険が迫ってきたら、120%自分の身を呈してでも子どもたちを絶対に守ると決めています。
それでも、自分の心と体が届かないところで悲劇が起きてしまったら…
もし子どもたちが犠牲者になってしまったとしたら、僕は何を思うんだろう。
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なぜあんなことで怒ってしまったんだろう?
なぜもっと優しい言葉をかけてあげなかったんだろう?
なぜ泣かせてしまったんだろう?
なぜもっとしっかりと顔を見て返事をしてあげなかったんだろう…
なぜ「もう知らない!」なんて言ってしまったんだろう…
なぜ今朝に限って「いってらっしゃい」ってタッチしなかったんだろう…
なぜあのときおもちゃを買ってあげなかったんだろう…
なぜ「行きたくない」って言ってるのに保育園を休ませてあげなかったんだろう…
なぜ今日に限って「寄り道しよう」なんて誘ったんだろう…
なぜもっとたくさん遊んであげなかったんだろう…
なぜもっといい父親になれなかったんだろう…
なぜ…なぜ…
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加害者に対する憎悪は、子どもたちを救えなかった自分へも向けるはずです。
そして、答えの決して出ない自問自答を繰り返して、自分を責めて自分を傷つけてしまうかもしれない。
そんな自分に今できることって何なんだろうか。
やっぱり毎日を一生懸命生きるしかないんだ、子どもたちと真っ向勝負して毎日を後悔しないように生きていくしかないんだ。
そう思うのが精一杯でした。
でも、子育てをしていて、それが一番難しいことも知っています。
子どもたちに心無い言葉をかけてしまったり、いい加減な対応をしてしまったり、その都度罪悪感で心が締めつけられるなんてことを毎日繰り返しています。
僕はいい父親になれるんだろうか?
僕は後悔しない生き方ができるんだろうか?
終わりに
今日も最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
昨今の子どもが巻き込まれる事件を見て考えた結果、それでも自分に何ができるのか、何をするのが正解なのか答えが出ないままでいます。
それでも、子を持つ親として、可愛い子どもたちと一緒にずっと未来を歩んでいくために、毎日を一生懸命生きていくしかないのだろうなと考えています。
子どもたちだけでなく、ママともしっかりと向き合って。
そして、仕事やプライベートで繋がっている人たちとも。
今の僕に何ができるんだろうか?
今日はしっかりと生きてきたか?
明日は今日よりもちゃんと生きることができるか?
いつ何が起きても後悔しないように、そして何も起きないことを祈って。
何もない日常が一番幸せなんだということを噛みしめて。
おしまい。
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